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フアン2世(西:Juan II, 1397年6月29日 - 1479年1月20日)は、アラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯、シチリア王(在位:1425年 - 1479年)、およびナバラ王(在位:1425年 - 1479年)。カタルーニャ語名ではジュアン2世(Joan II)、イタリア語名ではジョヴァンニ2世(Giovanni II, シチリア王としては1世)。大王(西:el Grande)と呼ばれる。アラゴン王フェルナンド1世と王妃レオノール・デ・アルブルケルケの子。アルフォンソ5世の弟。 父フェルナンドは元はカスティーリャ王子であり、アルフォンソもカスティーリャのメディーナ・デル・カンポで生まれた。出生時にはカスティーリャの王弟の次男という傍系王族にすぎなかった。 兄アルフォンソ5世の即位後の1419年、ナバラ王カルロス3世の娘でシチリア王マルティーノ1世の未亡人であった10歳年上のブランカと結婚した。カルロスは1425年に死去するが、男子がいずれも夭逝していたためにブランカが王位を継承し、夫であるフアンも共同君主としてナバラ王となった。 アルフォンソ5世はたびたび外征を重ね、ナポリ王国の征服後はナポリに宮廷を構えて戻らなかったため、代わってフアンがアラゴンを統治した。アルフォンソ5世には嫡子がなかったため、その死後にフアンがアラゴン王、バレンシア王、バルセロナ伯、シチリア王を継承した。アルフォンソ5世はナポリ王も兼ねていたが、これはアルフォンソの庶子フェルディナンド1世が相続した。後にフアン2世と2番目の妃フアナ・エンリケスとの間の娘フアナがフェルディナンド1世の2番目の妃となっている。 1441年にブランカが死去した際、ナバラ王位は長男ビアナ公カルロスがフアンの同意の下に継承するよう遺言した。しかしフアンは同意を与えず、カルロスを総督の地位に留め、ナバラの王位継承法に反して王位を譲らなかった。 さらに、1444年に再婚したフアナ・エンリケスが、自分との間に生まれた王子フェルナンド(のちのフェルナンド2世)をアラゴンとナバラの王位継承者とするよう迫った。フアン2世とカルロスは対立し、フアンが1458年にアラゴン王位を継承すると、王位継承問題はナバラの貴族間の抗争、カタルーニャの反乱につながっていった。ビアナ公カルロスは2度にわたって投獄された後、父に先立って死去した。さらに、カルロスが相続人として指名した同母妹ブランカもフアンに投獄されて死去した。 カタルーニャの反乱はフランス、カスティーリャ、ポルトガルの介入も招き、姉マリアの息子であるカスティーリャ王エンリケ4世(1462年 - 1463年)、バルセロナ家の血を引くポルトガル王族の将軍ペドロ・デ・コインブラ(ペドロ5世、1463年 - 1466年)、アンジュー公ルネ(1466年 - 1472年)が次々とアラゴン王、バルセロナ伯を称したが、内乱の長期化をしのぐ自身の長命もあって最終的には鎮圧を果たし、その間に成人したフェルナンドに王位を継がせることができた。 1479年に81歳で死去した。ビアナ公カルロスとブランカ2世の同母妹レオノールは父の在位中にナバラの摂政に任じられており、その死後に女王となったものの、わずか3週間余りで自身も死去し、その後は幼い孫たちが王位を継承した。その他の君主位は、カスティーリャ女王イサベル1世と結婚してカスティーリャ王となっていたフェルナンド2世が継承した。 == 子女 == 最初の妃、ナバラ女王ブランカ1世との間には1男3女が生まれた。 *カルロス(1421年 - 1461年) ビアナ公 *フアナ(1423年 - 1425年) *ブランカ(1424年 - 1464年) カスティーリャ王エンリケ4世と結婚 *レオノール(1425年 - 1479年) ナバラ女王 2番目の妃、フアナ・エンリケスとの間には1男1女が生まれた。 *フェルナンド2世(1452年 - 1516年) アラゴン王、シチリア王、ナポリ王、カスティーリャ王、ナバラ王 *フアナ(1454年 - 1517年) ナポリ王フェルディナンド1世と結婚 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フアン2世 (アラゴン王)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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